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対象となったものは信じがたいことだが、ちょっと見ると、玉ネギのような小さな「球根」だった。
いまではオランダ中の畑に色とりどりに咲いている、あの〃チューリップ″である。
チューリップは南ヨーロッパや中東が原産で、一六世紀中頃にトルコから北ヨーロッパに持ち込まれた。
チューリップという名はターバンを表すトルコ語「ドゥルバン」に由来している。
まずスイスの博物学者がチューリップをウィーンに紹介してから、その美しさに目を見張る人々が増え、その後三○年間にチューリップの評判は確実にヨーロッパ中に広がっていった。
数年のうちに球根はドイツやオランダで栽培されるようになり、一五七○年代後半にはイギリスにも上陸し、たちまち王室の人々の心を虜にした。
最初のうち、球根の値段は他の珍しい植物より少し高い程度だった。
しかしやがて、人々の関心に比例して価格がじわじわと上昇し始めた。
初期の段階では、ドイツの貴族やオランダの豪商が主な買い手で、直接トル。
それには歴史の巨大な潮流を知る必要がある。
当時のオランダは経済的に絶頂期にあった。
世界の半分を支配するような大規模な商船団の圧倒的な力を背景に、有名な「東インド会社」を設立し、その地域との交易を独占していた。
さらにアジアや南北アメリカに多くの植民地を築いていた。
国内では、レンブラントやルーベンスなどの画家が世界中から集まった富のおかげで可能になった豊かな生活の上で、新しい文化の花を開かせ.のコンスタンチノープルに注文していた。
一七世紀初めになると、チューリップはフランス人の心をくすぐり始めた。
フランスの金持ちはこの球根のためならいくらでも金を払うとまでいい始めた。
投機への萌芽がまずフランスで現れた。
しかし、最終的にチューリップをめぐって狂気のバブルに踊ったのはフランスではなくオランダだった。
ではなぜ、ヨーロッパの他の国ではなくオランダがバブルの国に選ばれたのか。
こうした繁栄の中で、少し裕福なオランダの家庭では、チューリップを集めて人に見えるように栽培しておくことが、なによりのステイタス・シンボルとなっていた。
こうして時間の経過とともに、チューリップ熱ともいえる現象はオランダ中に蔓延し、町のパン屋も服の仕立て屋もチューリップを欲しがった。
チューリップの収集が過熱しコレクターらの目が利くようになると、珍しい品種の人気が上がり、価格も高くなった。
斑点のあるチューリップは、斑点のないものよりも高いとされるようになった。
やがて、斑点の位置や微妙な濃さまで比べられるようになり、チューリップの等級ができ上がった。
さらに地中のウイルスの影響で、栽培したチューリップには時たま突然変異が現れる。
変わった色が混じってカラフルだったり、花びらがギザギザだったりする変わり種には特別の値段がついた。
こうした突然変異を探して、人々は庭中を調べ回った。
チューリップが高価になるにつれて、それにまつわる新しい商売も登場した。
まず、金持ちの道楽的収集やステイタス・シンボルとして始まったチューリップの取引が、次第に投機的色彩を強めていった。
やがてオランダのチューリップ市場は欲望の「財渦」と化していった。
小さな球根の売買によって富を増やそうという欲が、チューリップ取引の主要目的になっていったのだ。
また、当時のアムステルダムはいまでいう〃ウォール街″だったので、当然のように金融機関もこの騒ぎに巻き込まれた。
すでに多くの人々にとってチューリップは大切な投資対象だったので、安全に保管したり、融資の担保として預けるために特別な施設が必要となった。
そのために、オランダの銀行は金庫のかわりに特別設計の球根貯蔵庫を作らされる破目に陥った。
なかには、金本位制をやめて「チューリップ本位制」をとるべきだと主張する者まで出てチューリップ栽培者は天候不順による生産の低下から身を守る手段が必要だった。
そこで、ある男が「雨保険」なるものを発明し、オランダの保険会社は大いに儲かった。
投機熱にいったん浮かされると、全く恐ろしいことだが、ゲームの参加者は「すべての人が儲け、損する者など一人もいない」という強固な確信を全員がもつようになる。
一九八九年の東京株式市場でも同じような話が鳴かれた。
つまり「株で損する人はいない」と。
現在では上海で…。
さらに、価格の下落を意図的に食い止めるような企みが画策された。
投資に変わり、投資が投機へと変わった。
一六三○年代のオランダ人は狂気に支配されていた、としか思えない。
しかし、歴史をよく観察してみると、人間はありとあらゆるものを投機の対象としてきたのがわかる。
そして条件さえそろえば、いつでもどこでも投機は起こりうるし、その時のその国への富の集中度が高ければ、投機は狂気へと変わる。
そしてどのようなものでも、上がり続けたものは必ず下がる。
これは物理学にも似た自然の法則だ。
機のチャンスを狙って血眼になっていたチューリップ仲買人は、価格が下落しないようにあらゆる手を打った。
価格が下がるたびにチューリップを大量に買い込み、その結果価格が上がると巧妙に売り抜けした。
これで価格の下がりすぎがなくなり、相場は必ず上がるという神話は揺るぎないものとなっていった(ギクッとされたかたもいるだろう。
日本の旧四大証券がバブル崩壊以前にやってきたのがこの手口だったからである)。
〃投機によるポロ儲け″というおいしそうな餌が、大衆の目の前にまぶしくぶら下がった。
その当時の模様をC・Mの「常軌を逸した大衆的幻想と群集の狂気』ー八四一年ロンドンで出版)は次のように書いている。
チューリップの珍しい品種に対する需要は一六三六年に一気に増大した。
その結果、それを売買するための常設の市場がアムステルダムの株式市場に設けられただけでなく、ロッテルダム、ハーレム、ライデンなどの町でも常設市場ができた。
すべてのギャンブルの場合と同様に、はじめのうちは市場に対する信頼感が最高の状態にあり、すべての人が儲けることができた。
チューリップの仲買人は価格の上昇・下落をうまくとらえて投機し、下落した時に買って上昇した時に売ることにより大儲けをすることができた。
多くの人々が突然、金持ちになった(というより、所有しているチューリップの価格で見る限り金持ちになったように見えた)。
大衆の前に黄金の餌が気をひくように釣り下げられており、人々は蜜に群がるハチのように次から次へとチューリップの市場へと殺到した。
誰もがチューリップ相場は永遠に続くだろうと思い込んでいた。
世界中のあらゆる所から金持ちがオランダまで注文を出し、どんな高い値段でもちゃんと支払いをするだろうと考えていた。
……貴族、市民、農夫、職人、水夫、従者、女中、さらには煙突掃除人や古着屋のおばさんまでがチューリップ相場に手を出した。
あらゆる階級の人々がその全財産を現金に換え、それで球根に投資した。
土地・建物はとんでもない安値で売り出され、あるいは当時のビジネスマンは誰でもお抱えのチューリップ・ブローカーを擁しており、チューリップの価格が上下する度に知らせのメッセンジャー・ボーイを走らせてもらっていたという。
確実な資金の準備のない失業者や浮浪者さえもチューリップ投機に熱中したといわれる。
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